ヴィクトリア朝時代・イギリスの美術活動家「ラファエル前派」

イギリス・ヴィクトリア朝時代。美術史に大きな革命・影響を与えた画家、詩人、美術評論家の活動グループ、「ラファエル前派」という秘密結社がありました。西洋美術を知る上で最も重要である彼らの活動や、ラファエル前派が結成された動機など、詳しくご紹介していきたいと思います。

 

Contents

Pre-Raphaelite Brotherhood
 PRBの結成

ロイヤル・アカデミー付属美術学校の生徒だった、ダンテ・ガブリエル・ロセッティ、ジョン・エヴァレット・ミレー、ウィリアム・ホルマン・ハントの3人は、ロイヤル・アカデミーがラファエロ・サンティ以降の西洋美術・表現技法に固執している古い慣習に不満を抱き、ラファエロ以前の芸術的表現を取り入れようと声をあげました。「ラファエル前派」というのは、ラファエロ以前の表現技法、自然描写、鮮やかな色彩、創作美術に回帰するという芸術活動です。

のちに、ジェームズ・コリンスン、フレデリック・ジョージ・スティーヴンズ、ウィリアム・マイケル・ロセッティ、トーマス・ウールナーの4人を迎い入れて、1848年に7人のメンバーからなる秘密結社兄弟団が結成されました。

 

WM・ロセッティが表明した理念

1. 独創的なアイディアを持つこと

2. 表現のために自然を注意深く観察すること

3. 過去の芸術の真剣で、率直で、誠実なものを好み、反対に古い習慣、自己顕示、型にはまったものを拒絶すること

4. 最も重要なのは、美しい絵や彫刻を制作すること

 

PRBが影響を受けたもの
ジョン・ラスキン(美術評論家)

ラファエル前派に最も大きく影響を与えた人物は、美術評論家のジョン・ラスキン。ラスキンは、家族で英国や欧州を旅行していたことで、自然や動植物・風景を観察し、自分の目で見たものを描いていました。「自然をありのままに再現する」というラスキンの美術に対する思想に、ラファエル前派は多大な影響を受けました。

 

ナザレ派

1809年、ウィーンで美術アカデミーの学生、ヨハン・フリードリヒ・オーファーベック、フランツ・プフォル、ルートヴィッヒ・フォーゲル、ヨハン・コンラート・ホッティンガー、ヨゼフ・ヴィンター・ゲルスト、ヨゼフ・ヨハン・ズッターが「聖ルカ兄弟団」を結成しました。ナザレ派は美術史上初「反アカデミズム」の絵画運動を行なったとされています。

ナザレ派の理念は、当時の技法偏重の美術アカデミーの教育に対する新古典主義への反発でした。精神的価値を体現した芸術に回帰しようと中世末期からルネッサンス初期にかけたイタリア・ルネッサンスの芸術家に影響を受け、デューラーやラファエロの芸術に関心を寄せました。のちに、イギリスのラファエル前派に影響を与えることになりました。

ナザレ派という名称は、他称。

 

ラファエル前派・初代
ダンテ・ガブリエル・ロセッティ

ロセッティは、ラファエル前派の創設者の中の一人。19世紀のイギリスで画家として有名なだけでなく、絵画と同じくらい文学を愛し、詩人としても優れた才能を持っていました。シェイクスピアやゲーテに影響を受けていました。

恋愛では、エリザベス・シダルとジェーン・バーデンの女性二人との複雑な恋愛がありました。エリザベス・シダルは、ミレーの描いた「オフィーリア」のモデルとなった女性です。ロセッティやミレー、ラファエル前派のモデルとして大きく活躍してました。エリザベスはのちに、ロセッティの妻となります。

ジェーン・バーデンは「プロセルピナ」のモデルとなった女性です。ジェーンもロセッティの絵画モデルを多く務めています。ジェーンは、ウィリアム・モーリスと結婚をしますが、ジェーンとロセッティは不倫関係に陥ります。その後も数々の不貞行為があったロセッティですが、エリザベスが自ら命を絶った後でも、女性関係は尽きなかったようです。恋多きロセッティは、モデルを務めた妻や愛人の数々の有名な作品を遺しています。

プロセルピナ
受胎告知

 

ジョン・エヴァレット・ミレー

ミレーは、ラファエル前派の創設者の中の一人。1840年に史上最年少の11歳でロイヤル・アカデミーへの入学を許可された逸材です。

ミレーの最高傑作作品といえば、シェイクスピアの「ハムレット」のヒロインを題材にした作品「オフィーリア」。オフィーリアのモデルを務めたエリザベス・シダルは、ミレーの制作中、水の中に浮き続けていたので風邪を引いてしまい、彼女の父に告訴すると脅され、ミレーは慰謝料を支払うといった出来事もあったようです。

オフィーリア

 

ウィリアム・ホルマン・ハント

ハントは、ラファエル前派の創設者の中の一人。1844年にロイヤル・アカデミーに入学したハントは、そこでミレーに出会います。のちに、ロセッティと出会いラファエル前派が結成されます。

ハントは2度の結婚をしました。モデルのアニー・ミラーとの婚約に失敗した後の1861年には、後にイザベラのモデルとなるファニー・ウォーと結婚しました。

ハントの最後の大作といえば「世界の光」。ロンドンのセントポール大聖堂に大作を完成させました。もう一つ、対として有名な絵画は「良心の目覚め」モデルとなった女性はハントの愛人、アニー・ミラー。女性の薬指に指輪もないことから、二人の関係がただならぬものというのを表しています。

アニー・ミラー

 

良心の目覚め

 

最後に他の作品をご紹介
バーン=ジョーンズ 「シドニア・フォン・ホルク」
バーン=ジョーンズ 「魔法にかけられるマーリン」
バーン=ジョーンズ 「フィリスとデモフォン」
イギリス・ロンドン在住。 2012-2013年、ワーホリでトロント・カナダ。アメリカを一人旅。後にヨーロッパへ。美術鑑賞・映画鑑賞・海外旅行・写真・読書・香水が好き。自身で撮影した写真とともに、イギリス・ロンドンの魅力や美術に纏わることなどを綴ります。
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