英国発祥・高級靴ブランド「マノロ・ブラニク展」

マンチェスター・スクエアのハートフォード・ハウスにあるウォレス・コレクションで、マノロ・ブラニクとのコラボレーション展示会が無料公開で開催。英国発の高級靴ブランド、マノロ・ブラニクについて紹介いたします。

Contents

Manolo Blahnik
マノロ・ブラニクとは?

マノロ・ブラニクは、スペインのカナリア諸島、サンタクルス・デ・ラ・パルマ出身です。幼少期はホームスクールに、大人になってからはスイスの全寮制学校に通いました。その後、両親が外交官になることを希望したため、ジュネーブ大学に入学して政治学と法学を専攻。しかし、ブラニクは専攻を文学と建築に変更しました。

1965年に学位を取得してパリに移り、古着屋で働きながらÉcole des Beaux-Artsで美術を、ルーヴル美術学校で舞台美術を学美ました。 1969年にロンドンへ移り住み、ファッション・ブティック「フェザー」でバイヤーとして働き、イタリアの男性版「VOGUE」のL’Uomo Vogueを執筆しています。

 

靴のデザインに取り組んだきっかけ

1969年、マノロ・ブラニクがニューヨークを旅していた時に『U.S.Vogue』の編集長、ダイアナ・ヴリーランドと出会いました。ブラニクは自身のファッション・セットデザインのポートフォリオをヴリーランドに見せたところ、ブラニクの靴のスケッチに感心し、靴のデザインに集中するようにアドバイスしました。ブラニクは彼女のアドバイスに従い、靴のデザインに取り組みました。

 

ブラニクが影響を受けた人

ブラニクが最も偉大にインスピレーションを受けた中の一つは、彼の母親でした。彼女はファッション雑誌を研究し、最新のファッション・トレンドを自身の洋服に取り入れていました。ブラニクと彼の家族は、パリやマドリッドへ頻繁に洋服を取り寄せに行っていました。母親は故郷の靴に不満を抱いていたので、地元・カナリア島の靴職人から靴作りの初歩を学び、自分で靴を作ったりしていました。

少年時代のブラニクは母親が美しい靴を作る姿を見るのが大好きでした。母親のブロケードやサテン生地への愛情を受け継いだブラニクは少年の頃、トランクの中にロシアの有名なピエール・ヤントルニーの靴が入っているのを見つけたことを話してくれました。そのすべてが軽く、エレガントでフェミニンなものであり、ブラニクは自身のデザインにもその特徴を持ち込みました。

 

ブラニクの靴作り

ブラニクは靴作りを正式に学んだわけではないのですが、自ら靴工場を訪れ、型抜き職人や技術者、機械のオペレーターに直接話を聞くことで技術を習得していきました。

 

英国発祥・高級靴ブランド ”マノロ・ブラニク”

マノロ・ブラニクは、1972年に設立された英国発の高級靴ブランドです。1977年、初のアメリカコレクションを発表。1979年にはアメリカに初のブティックをオープン。マノロ・ブラニクの旗艦店は、現在もロンドンのチェルシー地区のオールド・チャーチ・ストリートにあります。

マノロ・ブラニクの店舗は、ロンドン、ニューヨーク、ジュネーブ、マドリード、バルセロナ、モスクワ、ドバイ、アブダビ、ドーハ、香港、クアラルンプール、ソウル、シンガポール、東京、台北にあります。ブルーミングデールズ、ノードストローム、ニーマン・マーカス、バーニーズ、バーグドルフ・グッドマン、サックス・フィフス・アベニューは、アメリカで彼のラインを取り扱い、ドバイ・モールにも新たにオープンしています。


Manolo Blahnik

32-33 Burlington Gardens, Mayfair, London W1J 0PZ, United Kingdom

http://www.manoloblahnik.com/

tel : +44 2037936794

opening hours : Monday-Saturday, 10.00–18.00

closed : Sunday

 

イギリス・ロンドン在住。 2012-2013年、ワーホリでトロント・カナダ。アメリカを一人旅。後にヨーロッパへ。美術鑑賞・映画鑑賞・海外旅行・写真・読書・香水が好き。自身で撮影した写真とともに、イギリス・ロンドンの魅力や美術に纏わることなどを綴ります。
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